ずっと映画のことを考えている

旧「Editor's Record」(2023.2.28変更)

「ニトラム/NITRAM」ジャスティン・カーゼル

オーストラリア史上最悪の悲劇。死者35人、負傷者15人―。人間を無差別殺人にいたらしめるものは何か。ときに映画は、その深い深い闇に触れようとするけれど、無論、明快な答えはなく、観る者をどっと疲れさせるだけだ。彼らに共通するのは、想像を絶して「孤…

「前科者」岸善幸

無責任な善意が深く深く人を傷つけてしまうということを私たちはもっと強く自覚する必要がある。人ができるやさしさは、言葉をかけることでも、救いの手を差し伸べることでもなく、そっと寄り添い、しっかり目を離さないことくらいだ。自分は何もできない。…

「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」マル―・ライマン

大人になるということは、受け入れることを増やし、赦していくことでもある。パパがある日突然ママになる。11歳の少女には到底受け入れがたい事実に向き合ったカヤ・トフト・ローホルトの演技がとにかく素晴らしかった。親と子である前に一人の人間と人間であ…

「声もなく」ホン・ウィジョン

生きる世界が違う。といってしまえばそれまでだけど、慈しみや温もりが、確かにそこに在るだけに、胸が締めつけられ、息ができなくなるくらいに切ない。貧困から死体処理をして生計を立てねばならない青年と、親から見放されて身代金を払ってもらえない少女…

「Coda コーダ あいのうた」シアン・ヘダー

娘であり、父であり、母であり、兄であり、また、あるときは、ろう者であり、聴者であり。いろんな立場の、いろんな感情が、ぐちゃぐちゃに入り混じった、笑って、泣ける、やさしい映画だった。世界の見え方は一人ひとり異なるけれど、思いやる気持ち、それ…

「ちょっと思い出しただけ」松居大悟

そういや昔、60歳くらいのジャズ喫茶のマスターが「恋をしたい」と言っていて(それはきっと叶わない)、なんだかいいなと思ったことをつい思い出した。失ってしまったもの、もう元には戻れない、戻せないことが、いかに豊かで、美しいものであるかを、この…

「ライフ・ウィズ・ミュージック」Sia

イマジネーションは無限。想像力を働かせることで世界はポップにカラフルに彩られていく。そして、音楽はいつも、私たちの傍にあり、想像力を刺激し続ける。絶望の淵に立つ人間が、もう一度、他者を愛することで希望を手にするファンタジックで美しい物語。 …

「COME&GO カム・アンド・ゴー」リム・カーワイ

中華系マレーシア人の映画作家リム・カーワイがみた大阪。そこで交差する中国人、台湾人、在日韓国人、マレーシア人、ミャンマー人、ベトナム人、ネパール人、日本人の、それぞれの人生は、過酷だったり、空虚だったり、胡散臭かったり。共通しているのは、ど…

「ノイズ」廣木隆一

ちょっと歯車が狂うだけで、しあわせな暮らしも、のどかな日常も、あっけなく音を立てて崩れていく。その引き金を引いてしまうのは、妬みだったり、嫉みだったり、人間の、ほんの些細な弱さだというのが恐ろしい。悪魔はすっと懐に忍び込んでくる。 映画『ノ…

「ベルファスト」ケネス・ブラナー

どんなに大変な状況に追い込まれようとも、人間は「暮らす」ことを止めない。絶望しない。そして、それらの「暮らし」には、笑いがあって、怒りがあって、涙があって、つまり、家族のつながり、温かさが息づいている。動乱の時代を生きる家族の物語をみてい…

「クレッシェンド 音楽の架け橋」ドロール・ザハヴィ

音楽には言葉がない。言葉がないから解釈を強制しない。共感よりも共鳴。響き合うというのはとても純粋な感覚だ。世界で最も解決が難しいとされる紛争地域、パレスチナとイスラエルの音楽家たちが奏でるラヴェルの「ボレロ」、パッヘルベルの「カノン」には…

「椿の庭」上田義彦

写真家・上田義彦が映画を撮った。妻と子供たちを撮り続けた彼の写真集「at Home」は忘れがたい一冊だ。写真も映画も記憶を留める装置。そんなことを思いながら観ていたら、切なくて、切なくて、切なくて。でも、それが人生。生きるということ。そして、やっ…

「淪落の人」オリヴァー・チャン

「世の中は説明できないことだらけ。けれど、心持ちは自分で選べる」とその人は言った。境遇や人種、文化が違う人たちであっても、同じ夢をみることができる。この映画が感動的なのは、同じ夢を見ることで、どん底にあったお互いの人生がきらきらと輝き始め…

「ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ」リー・ダニエルズ

国家が何かを禁じる。その背景には、その物事に対する恐れ、とても不都合な真実が隠されている。多くのミュージシャンから曲を奪い、映画人を追放した「アメリカ」が、最も恐れた歌手はビリー・ホリデイで、最も恐れた曲は「奇妙な果実」であることは間違いな…

「ヤクザと家族 The Family」藤井道人

任侠、ヤクザ、暴力団、反社。時代によって変化した、その呼び名を並べるだけで、世間が彼らをどのように扱ってきたか、そして今、どのように扱っているのかがわかる。行き場のないはみ出し者たちが、ようやく見つけた「場」は、日本からどんどん消滅してい…

「ドリームプラン」レイナルド・マーカス・グリーン

ギャングがブロックごとに存在し、犯罪が蔓延している街・コンプトン。ドラッグの利権を巡って、黒人同士が殺し合う。そんな街から史上最強のテニスプレイヤー姉妹を誕生させた家族の実話を、最大限の敬意を払って、丁寧に描いたスポーツドラマ。結論。超一流…

「アイヌモシリ」福永壮志

アイヌの熊送りの儀式「イオマンテ」を初めて知った。ヒンドゥー教徒は牛を食べないし、イスラム教徒やユダヤ教徒は豚を食べない。また、日本人は鯨を食べるし、中国や韓国では犬を食べる。そして、それらにはすべて意味があり、そこで暮らす人たちの営みが…

「ブルー・バイユー」ジャスティン・チョン

国籍も、戸籍もない。それは決して珍しいことではない。生まれ故郷である祖国で育ち、結婚し、子を持ち、暮らすことが、当たり前ではない人たちが数多く存在していることを改めて思い知らされる。怖れはやがて、国家ぐるみの差別となり、差別は人と人を分断…

「ライダーズ・オブ・ジャスティス」アナス・トーマス・イェンセン

復讐のバイオレンス・アクションかと思いきやそんな安易な映画ではなかった。人間は「突然の理不尽な悲劇」に襲われたとき、捌け口とする怒りや憎しみ、それを向けるべき相手を探してしまうけど、そんなもので心の傷は癒されない。この作品が、どこか幻想的な…

「その日、カレーライスができるまで」清水康彦

ひとりの男がカレーをつくる。たったそれだけなのに、過去も、現在も、未来も、彼の人生の、その周りの人たちの人生のすべてが浮き立ってくる、プロットも、演出も、もちろん演技力も、そのすべてがスゴイ。ある意味で、これ以上ないほどロマンチックなラブ…

「ローラとふたりの兄」ジャン=ポール・ルーヴ

おっちょこちょいで、底抜けにお人よしだけど、どこかちょっとズルい。そんな愛おしい二人の兄が織りなす、妹をめぐるエスプリの効いた物語。頼れる人がいれば、人生どうにかなる。飄々としているようで心の奥底で慮っている。フランス人の本当のやさしさが…

「私はいったい、何と闘っているのか」李闘士男

どんなに不運で、ツイていなくても、闘っている人は無条件でカッコいい。そして、どんなに不甲斐なく見えても、誰もが「何か」と闘っていることを決して忘れてはならない。つまりは、生きている、それだけでカッコいいのだ。一隅を照らすひと。自分のいる場…

「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」マリア・シュラーダー

鉄腕アトムの最後を思い出した。手塚治虫が記した「進歩のみを目指して突っ走る科学技術がどんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくか」という言葉と共に。もしもアンドロイドを愛してしまったら。迷いに…

「ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド」スティーヴン・キジャック

学校帰りの東急東横線でよくスミスを聴いた。今思えば、1980年代のイギリスの閉塞感と、バブル崩壊後の日本の虚無感は、とても似通っていたのではないかと思える。あの頃、ヘッドホンから流れるスミスを聴くだけで、簡単に社会と断絶することができたし、そ…

「ブラッド・ワーク」クリント・イーストウッド

今から20年前。の段階でイーストウッドはすでに老いている。老いてはいるが、枯れてはおらず(今もだけれど)、往年の元FBI捜査官が猟奇殺人犯に挑むさまは、実にスリリングでサスペンスフル。気骨のある老人がもう一度立ち上がる「お決まりのパターン」はこ…

「世界で一番美しい少年」クリスティーナ・リンドストロム&クリスティアン・ペトリ

事実はいつもスキャンダラス。#MeToo運動を例に挙げるまでもなく、芸能の歴史は搾取の歴史であることを、どこか頭の片隅に置いておく必要がある。そして、それは決して女性だけでなく、男性もまた犠牲者であるということも。「ベルサイユのばら」のオスカル…

「サマーフィルムにのって」松本壮史

無我夢中。好きという気持ちは、それだけで侵しがたく、最強で、何よりも尊い。勝新太郎を愛してやまない女子高生の映画愛は、メガホンを握った瞬間に黒澤明と同格なのだ。あまりにキラキラと眩しすぎて、気がついたらのめり込んで、最後には手に汗を握って…

「スティルウォーター」トム・マッカーシー

マット・デイモンは特別な俳優だ。アクション、ドラマ、SF、コメディ、そのすべてにおいて代表作があり、超一級の演技をみせる。忘れがたい作品がいくつもあるけど、中でも群を抜いて圧巻の演技をみせているのが本作だ。名優はその存在だけですべてを物語る。…

「男はつらいよ 噂の寅次郎」山田洋次

コレコレコレ。とことんお調子者で、おっちょこちょいで、喧嘩っぱやくて、惚れやすくって、人情深い。それを取り巻き、脇を固める「とらや」の面々。寅さん22作目はザ・男はつらいよ的テイスト満載の隠れた名作だった。それにしてもマドンナ役の大原麗子が、…

「クライ・マッチョ」クリント・イーストウッド

かつて彼の映画に出演した俳優・渡辺謙はイーストウッドの映画作りを「スタッフを信じて1日ずつカットを積み上げていく」と評した。監督50周年記念作品となる今作に垣間見えるのは、そんな丹精を込めた1カット1カットの丁寧さ、映画に対する絶えることのない…