映画
何も考えず、ただただ楽しく生きていければいいけど、人生はそんなに甘くない。人は人に影響を与え、与えられることで、やがて、何者かになっていかなければならない。嗚呼、今の若者は、生きること、愛することについて、こんな風に生きづらさを感じている…
ヨーロッパはれっきとした階級社会だ。進学できる学校はおろか、言葉にも違いがあることを、私たち日本人は、どのくらいリアルに想像できるだろう。そんな封建的な階級格差、パワーバランスのまやかしやインチキを、嘲笑しながら暴き倒したような痛快なブラ…
ゲイについて描いてはいるけど、決して遠い話ではなく、とても身につまされる映画だった。それは愛についてのエゴ、大袈裟に言ってしまえば、人間の孤独を描きながら、それでも、誰かとつながろうとする映画だったからだ。数々の怪演作を残してきた鈴木亮平…
芸術が狂気を呼び覚ますのか、狂気が芸術を呼び覚ますのか、それはわからない。芸術が、人間をそれ以上の存在たらしめるもの、神の領域に触れようとすればするほど、やがて「健全さ」は喪失されていく。面白いのは、この映画で主役を務めたケイト・ブランシェ…
せつない。どんどん記憶を失っていく母と、それに抗うように、どんどん記憶を蘇らせていく息子。心の溝を埋めようにも埋められない。時間を取り戻そうにも取り戻せない。そのことが、殊の外、どうにもせつなすぎて。記憶はとても曖昧だけれど、愛は確かで、…
人生は決して平等ではない。出自や境遇を誰も選ぶことはできない。もしも、自分の出自や境遇について、ただの一度も悩んだことがないとしたら、それだけでもう幸せなことなのだ。私が私として当たり前に生きるために、名前を変えなければ生きていけない、本…
人と人とを分断するもの、結びつけるものは何かという問い。その答えは、血でも、人種でも、言語でもないという思い(というか強い願い)が、ファミリア、家族という題名に込められている。約280万人の外国人が暮らしている日本。ヘイトが蔓延しているこの国…
マイケル・ジャクソンしかり、本作のホイットニー・ヒューストンしかり、かつてない成功を収めた大スターが陥ってしまうのは「自分を見失う」ということだ。ファンの期待に応えねばならないプレッシャーも、世間からの批判やいわれのない中傷も、すり寄ってく…
人を憂うと書いて優しいという言葉が寅さんほど当てはまる人はいない。人のために思い悩み、人のことを気にかける。今ではお節介と呼ばれそうな人情がことのほか身に染みる。芦屋雁之助、笑福亭松鶴、大村崑、正司照江・花江、そんな出演陣をみていると、人と…
すごい。こんなのを作品にできるから、映画はどこまでも自由だ。カルトが恐ろしいのは、マインドコントロールによって抑制されていたものが、何かのきっかけで箍が外れたとき、制御不能な暴力へと向かうということ。極限にまで膨らんだ欲望は、やがて暴力に…
母親であり、娘であるということが、その人を雁字搦めに縛りつける。離れたいのに、離れられない。許したいのに、許せない。愛したいのに、愛せない。息苦しい。母親らしく、娘らしく。お互いが、個と個、一人ひとりの人間なのに、役割が与えられることで、…
少子高齢化。ずっと言われ続けている社会的な大問題に、具体的な解決策ひとつ描けないまま、いよいよ「自由」という名のもとに「殺人幇助」が国家ぐるみで正当化されていく。政治も、人間も、目の前に起こりうる事態に対して、あまりに無力だ。老いと孤独、…
文化の最も重要な要素として「受け継がれる」ということがある。それは決して様式のことではなく、精神性の継承を含め、ということだ。かつて、弾圧され、搾取されたアイヌ。誰かが屈せずに闘い、その価値を認め、継承しようという志が、その志だけが、文化…
「子を授かる」ということが、すべての夢を諦めざるを得ないことに直結すること。あるいは、「子を産まない」という選択が、人格のすべてを否定されるだけでなく、ほんの数十年前まで、犯罪であったことに驚愕した。と思ったら、そのうち、これは果たして「…
春はたけのこ、夏は梅ジュース、秋は茗荷ごはん、冬はふろふき大根。日本料理の真髄は、旬を食する、即ち、いまを味わい、いまを生きることにある。毎年、同じ季節に、同じ作業を繰り返し、同じものを食べる。それこそが、暮らすということ、そのものなのだ…
小説家・佐藤泰志が描いた登場人物はいつも「ここではないどこか」を探している。あがいて、もがいて、それでも辿りつけなくて。また、もがいて。そして、やがて、かすかに見えてくる光を、傷だらけのその小さな手で掴むまで。世界の片隅で、そうやって懸命に…
人間は厄介で複雑。そして、ひとりでは生きられない。とりわけ、幼児である頃は、母という存在に依存するしか生きる術はなく、だからこそ「母という病」は存在する。子を授かるということは「十字架を背負う」ことでもあり、それが喜びにもなれば、苦しみに…
病めるときも、健やかなるときも、悲しみのときも、喜びのときも、貧しいときも、富めるときも、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓う。嗚呼、それが夫婦なのかと改めて思う。疑いだしたらきりがない。名…
権力によって弱者が虐げられるという構造は、どんな世界、どんな社会にもよくあることだけれど、その中で、最も卑劣な行為は、性の食い物にすること。なぜならそれは、人間の尊厳を著しく傷つけ、犯された者の存在、個(アイデンティティ)を崩壊させてしま…
何万回も同じ日を繰り返す。同じタイムループに巻き込まれながら、くっつきは離れて、絶望し、やがて途方に暮れる。それでも最後の最後の最後、突き詰めれば突き詰めるほど、シンプルで、ピュアな部分にいきついたロマンティック・コメディにキュンとする。サ…
襤褸を着ても心は錦。とても高額な「新築祝い」を渡した兄を心配し、気持ちだけ受け取ろうとした博とさくらに寅さんが激怒するシーンがある。これは寅さんが圧倒的に正しい。ありがたく受け取ることが筋だ。とはいえ、寅さんのお金は、源ちゃんからの借金(…
私たちはいつ変わってしまうのか。私たちはなぜ変わってしまうのか。何を恐れて、何を許せないのか。あみ子がひとりぽっちになるのは、私たちとあみ子に決定的な「隔たり」があるからだ。応答せよ、応答せよ、とあみ子が叫ぶ。あみ子はずっと変わらずまっす…
34歳と6歳。年齢を超えて、人は人に影響を与えることができるし、お互いを思いやり、友情にも似た結びつきを得ることもできる。それは希望であり、そして、とても素敵で、感動的なことですらある。生理、避妊、中絶・・・。(子供もいながら)47年以上も生きて…
オープニング。「トップガン アンセム」から名曲「デンジャー・ゾーン」が流れるだけで、とんでもない高揚感。前作でメガホンを取ったトニー・スコットに捧げられたオマージュ全開、36年振りの続編を観ながら感じるのは、80年代の圧倒的なパワーだ。スカッと…
口が達者で、誇大な傾向があり、病的な虚言を繰り返し、衝動的で、罪悪感(良心)が欠如している。そして、何よりも、他人を支配しようとする傾向がある。そんなサイコパスを演じた阿部サダヲが、あまりに「いい人」でリアルだった。人間とはいとも不可解で…
合理化が止まらない。0か1かで判断される世界は「効率」こそが優先すべき価値となり、そこに人間の感情が入り込む隙はない。心にズケズケと入り込んでくる牧本は、少しどころか、今となってはかなり迷惑だけど、じんわりと温かい。おせっかいが難しい時代の…
ぜんぶ、ボクのせい。みんながそう思えば、ほんの少し、世界はやさしく、生きやすくなる。そんなことを考えながら、エンドロールに流れる大瀧詠一の「夢で逢えたら」を聴いていた。無責任な大人と孤独な少年。叫べ、叫べ、叫べ。歪みまくった社会のリアルが…
戦争の悲劇は多くの人が殺されるからではない。悲惨なのは、ごく普通に生きるはずだった、生きたいと思っていただけの、何百万人という人の人生、その子供たち、また、孫たちの人生をも狂わせてしまうことだ。一度始まった戦争は終わらない。未来を傷つける…
鎮魂。即ち、死者の魂を鎮めるということは、生きている者の気持ちを収めるということでもある。妹が聞くはずだった「一生分の音」を、カセットテープ、アナログの録音機器で集めて「音の墓」に埋める。弔うという機会も、場所も、どんどん失われていく今、…
生きることは生と死の狭間にいること。友達でも家族でもない。けど、つながっている。それはきっと、日本のとてもいい風景だ。ご飯は誰かと食べるとおいしい。しかも、大人数で食べれば食べるほどおいしい。みんなで食卓を囲んですき焼きを食べるシーン、最…