ブルース、ソウル、ファンク、R&Bなど、あらゆるブラックミュージックの根底に流れているのは、敬意と尊厳、そして、悲しみだ。それらが欠落した音楽は、黒人が奏で、歌ったとしても、もはやブラックミュージックとは呼べない。偉大なシンガーたちが総じて「ゴスペル」から多大な影響を受けていることは、そのことと決して無関係ではないはずだ。
ブルース、ソウル、ファンク、R&Bなど、あらゆるブラックミュージックの根底に流れているのは、敬意と尊厳、そして、悲しみだ。それらが欠落した音楽は、黒人が奏で、歌ったとしても、もはやブラックミュージックとは呼べない。偉大なシンガーたちが総じて「ゴスペル」から多大な影響を受けていることは、そのことと決して無関係ではないはずだ。
国家や宗教、政治や民族など、あらゆるしがらみを解き放ち、一対一の、人間と人間として対峙したときに初めて、ようやく真実は露わとなっていく。検閲によって黒く塗りつぶされるのは、不都合な真実であり、検閲する側の恐れだ。赦す、ということが、人間の最も高貴な行動であることをこの映画は教えてくれる。
なにが素晴らしいかって、偏見がまったくないところだ。偏見のない人間は、とても寛容で、そして、何よりも自由だ。なんのしがらみも、遠慮もない世界では、人と人の間の壁はなくなり、こんなにもすべてがきらきらと輝くのかと、理想の世界を見せてもらえているようだった。父と出会い、食卓をかこみ、たくさんの話をして、同級生に恋をする。それを、なんだろう、グッとくる映画にする。沖田修一監督は、やっぱり天才だ。
これだけ純粋に真正面から愛についての映画を撮られたらもう何も言うことはない。陰険ないじめも、熾烈な受験戦争も、ネグレクトや少年犯罪も、彼らが生きる「日常」はどこか虚無的で、二人でいる時間だけがリアルだった。愛は強く、美しく、犯しがたい。映画を観ながら聖書の言葉が頭に浮かんだ。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」というコリントの信徒への手紙の一節だ。
戦場に神はいないし、国連も守ってくれない。戦争も、内戦も、あらゆる紛争が、信じられないくらい人間を残虐にすることは多くの歴史が物語っている。強姦、虐殺、遺体破棄。戦争状態にあるかの国で、メディアでは決して報道されない残酷すぎる蛮行が今も行われていることは想像にたやすい。これは過去の物語ではなく今地球上で起きている現在の物語だ。