自分が欠落した人間だという自覚がなければ、誰かの支えになることはできない。人に寄り添うことの本質を、佐久間由衣、奈緒、小日向星一、笠松将、葵揚ら、新進気鋭の若手俳優たちが、グサリ、グサリ、突き刺してくる。それでいて、とてつもなく優しさに溢れているのは、彼らが迷い、戸惑い、戦うことをやめないからだ。若さは最強。誰かにとって救いとなるに違いない素晴らしい映画だった。
小さい頃、映画館は暗かった。もぎりのおばさんからチケットをかう。フィルムにはノイズが走り、映写機がカタカタまわる音もした。現在のシネコンよりもずっと怪しく、ちょっと胡散臭い場所で、映画を観ること自体がなんだかとても特別だった。そして、映画館は、ワイワイ楽しくというよりも、人の孤独にそっと寄り添う、やさしい場所でもあった。そんな映画館と、映画への愛がいっぱいにつまったノスタルジックな映画。そんな場所ってもうどこにもないなぁ。
紛争や貧困から逃れた移民の人々が、受け入れられた国で、さらなる差別や迫害、憎悪を受けてしまう。悲しいことに、それが現実であり、世界的な極右政党への支持の高まりは、そのことと決して無関係ではない。デンマークの現実を反映した、この悲劇的なサスペンスは、近未来の世界、あらゆる国家、人々への警笛でもあった。
覆水盆に返らず。または、過去は変えられないが、未来は変えられる、という言葉があるが、そんなに簡単なものではない。取り返しのつかない後悔やしがらみからの再生を、映画は繰り返し描いてきたけれど、複雑で不可解な人間の感情を、これほど緻密に、そして、知的に洞察し、表現した映画を知らない。人物描写、背景描写、言葉選び、ロケーション、衣装、小道具と、その一つひとつ、細部にいたるまで、恐ろしいほどの完成度。カンヌ四冠、アカデミー国際長編映画賞、むべなるかなの、ひりひりとした傑作だった。
誰も描かないもの、描こうとしないものが、またもや映画によってもたらされる。そこにあるのは「表現しなければ」という使命感にも似た思いだ。そして、その思いは国境を越え、伝播していく。コンプライアンスという耳障りの良い言葉で、表現を、社会を、制限してはならない。私たちがホントに知らないこと、知らねばならないことを教えてくれる映画は最後の砦。構想から5年。情熱と愛情に育まれ、完成した、とても幸せな映画だった。