「映画を文学へ近づけたい」と監督が語ったように、端々に文学的な匂いのする映画だった。ラストシーンに押し寄せるカタルシス、つまりは、心に溜まった澱のような感情の解放や浄化は、長い長い物語を読んだ後のそれと似ている。改めて思う。凡庸であること、うだつがあがらないことは、人間としての価値とはまったく関係のないことだ。
「映画を文学へ近づけたい」と監督が語ったように、端々に文学的な匂いのする映画だった。ラストシーンに押し寄せるカタルシス、つまりは、心に溜まった澱のような感情の解放や浄化は、長い長い物語を読んだ後のそれと似ている。改めて思う。凡庸であること、うだつがあがらないことは、人間としての価値とはまったく関係のないことだ。
みんなそうだ。なりたい自分になりたくて、あがいて、もがいて、そのうち、なりたい自分を見失って、気づかないまま、一体なんにムカついているかもわからず、イライラして。これは、そのことを肯定もせず、否定もせず、ただ寄り添って、受け入れてくれる映画だ。ん? ダサいって、なんだか、とってもいいぞ。
子どもの頃に夢見ていたものや、憧れていたヒーローを、いつから忘れてしまったのだろう。魂の純度が高くないと、きっと、いつまで経っても、人生はツマラナイままだ。「友達ってのは自分で選べる家族だ」なんてほんとそれ。人生を豊かにしてくれるのはたった一人の友達なんだと、おじさん、独りでしみじみする。
恋をするのも、悪いことを覚えるのも夏、と相場は決まっている。観光客で賑わう海辺の小さな町で過ごす「行き場のない」少年のひと夏の体験は、危うく、そして、耽美だ。夏の終わりに観る青春映画。松任谷由実の名曲「Hello, my friend」をふと思い出す。