アクション映画には哀しみが不可欠だ。闇社会で生きてきた男と、やむにやまれず家出した娘、どこにも行き場をなくした二人の、とても儚く、とても切ない、このロードムービーを観ながら考えていたのはそんなことだ。そして、逃亡劇は究極のラブロマンスを生む。現代のレオンとマチルダ。彼女はいつも美しいけれど、この映画のエル・ファニングは格別だ。
風変わりな青年ドノが発する「誰かが、そう信じてほしいことを、俺は信じる」なんて、すごい台詞。みんながそんな風にやさしく生きられたなら、それはきっと幸福に満ちた世界となるに違いない。いつから大人になったのかなんて、まったくわからないし、今もって大人の自覚はないけれど、この映画のように、人を許し、他者を受け入れたときに見える景色は変わる、というのはホントのことだ。
いかに危ういバランスの中で、私たちの日々の暮らしが成されているのかを、まざまざとみせつけられる、もはやミステリーと呼んでもいい人間ドラマ。台詞はもちろんのこと、物語の核心さえまったく明かされることのない演出は、伝説の女優シャーロット・ランブリングの圧倒的な存在感、演技力があればこそ。さらに、彼女自身の人生を思うとき、主人公の不安や孤独、悲しみや恐れ、日常の中のぽっかりと空いた空洞の大きさに、息が詰まりそうになる。
他人に迷惑をかけながら生きる、ということは、他人から迷惑をかけられても仕方がない、ということでもある。人と人とが関わりながら生きるということは、健常者であれ、障がい者であれ、そんな覚悟を決めるということだ。楽しくて、明るくて、滑稽でありながら、生きるって何かを問わずにはいられない、いのちを全肯定する上質なエンタテイメント。