このサスペンシブルで、グロテスクで、どこか病んでいる映画を、只ならぬものにしているのは、終始貫かれている、あまりに純粋でせつない親子の愛だ。西成を舞台に描かれたはらわたをギュッと掴まれるような(社会派)超・エンターテインメント。そして、伊東蒼に清水尋也。すごい。若き天才が2人もいた!
恋愛ではないし、かといって、単なる友情でもない。詩人でもある中川龍太郎という監督は、そんな言葉にできない繊細な感情を、これまでも映画にしてきたし、タイプの異なる女優二人を主演に据えた本作でも見事に描き切った。人には必ず秘密がある。残された者は、喪失の中で、いつもその秘密に翻弄され、それぞれに折り合いをつけるしかないのが常だ。
オーストラリア史上最悪の悲劇。死者35人、負傷者15人―。人間を無差別殺人にいたらしめるものは何か。ときに映画は、その深い深い闇に触れようとするけれど、無論、明快な答えはなく、観る者をどっと疲れさせるだけだ。彼らに共通するのは、想像を絶して「孤独」であること。そして、まるでパズルが組み合わさるように「必然的に」その時を迎えてしまうことだ。
大人になるということは、受け入れることを増やし、赦していくことでもある。パパがある日突然ママになる。11歳の少女には到底受け入れがたい事実に向き合ったカヤ・トフト・ローホルトの演技がとにかく素晴らしかった。親と子である前に一人の人間と人間であるという当たり前の事実が胸を締めつける。普遍的な愛についての家族の物語。
12/24(金)公開『パーフェクト・ノーマル・ファミリー』公式サイト