告解。生きていくうちに知らず知らず犯してしまった罪を告白することで神からの赦しを乞うこと。巨匠ペドロ・アルモドバルの最新作は、喪失し、絶望したひとりの女性でもある母親が、告解によって、再生していく物語だ。映画という表現を通じ人生の機微に触れようとするアルモドバル監督の恐るべき感性は健在。例え、悲しみのどん底に突き落とされたとしても、決して人生を諦め、放棄してはならない。
告解。生きていくうちに知らず知らず犯してしまった罪を告白することで神からの赦しを乞うこと。巨匠ペドロ・アルモドバルの最新作は、喪失し、絶望したひとりの女性でもある母親が、告解によって、再生していく物語だ。映画という表現を通じ人生の機微に触れようとするアルモドバル監督の恐るべき感性は健在。例え、悲しみのどん底に突き落とされたとしても、決して人生を諦め、放棄してはならない。
どれだけ無垢な気持ちでひたむきに愛することができるか。心を震わせる表現の決め手となるのは、決して上手い下手でないことをメリル・ストリープが全身全霊で示してくれる。そして、忘れてならないのがヒュー・グラント。ハリウッド黄金時代のスターを彷彿とさせる風貌とユーモア。この映画は彼の圧倒的な天才があってこそ!
歳をとると誰もが柔和になるというのは幻想だ。というよりも、囚われる過去が増えることで、より自分の殻に閉じこもり、頑固になっていくことの方が自然なのだ。これはそんな偏屈ジジイをあのアル・パチーノが演じるというあまりに渋すぎる映画。絶望だらけの人生をどう生き抜けばいいのか。それにしても、このデヴィッド・ゴードン・グリーンという人は、独特な感性で、実にユニークな作品を撮る映画監督だ。
いい映画はわかりやすい善悪を描かない。その代わり、私たちの内面に、じわじわじわじわ問いかけてくる。オマエハフセイヲハタライタコトハナイノカと。例え、ツテやコネ、賄賂が横行する社会であっても、それを社会のせいにし、自らも手に染めるかどうかは、無論、個人の判断による。しかしながら、大抵の場合、私たちは弱く、そして、愚かだ。「政治を軽蔑するものは軽蔑すべき政治しか持つことができない」というトーマス・マンの言葉を苦々しく思い出した。