極めて優秀な人間が、たった一度の過ちで、糾弾され、職を奪われてしまう。社会にとってそれは有意なことなのだろうか。過ちを許容できない社会は、やがて、何がほんとうに大切なのかを見誤ってしまいかねない。ジャーナリズムを生かすのも、殺すのも、私たちの見識にかかっているのだということをこの映画は問いかけてくる。
極めて優秀な人間が、たった一度の過ちで、糾弾され、職を奪われてしまう。社会にとってそれは有意なことなのだろうか。過ちを許容できない社会は、やがて、何がほんとうに大切なのかを見誤ってしまいかねない。ジャーナリズムを生かすのも、殺すのも、私たちの見識にかかっているのだということをこの映画は問いかけてくる。
先日。ある年配の人に夢を尋ねたら「恋をしたい」と返答された。半分冗談のようだったけど、思い返すたびに、とても素敵な返答だなぁと思う。どれだけ年を重ねても、不安になったり、臆病になったり、盲目になったり、ドキドキしたり。これは、そんな恋の効用と副作用を、ちょっぴり寓話的に描いた映画。もうすぐ80歳。ダスティン・ホフマンはいくつになっても「いい感じ」だ。
ともに過ごす時間の長さだけが大切なわけではない。たった一言を交わしただけで、たったひと夏を過ごしただけで、一生忘れられない友達になることだってある。連絡先も知らず、もう何十年も会っていないけど、あいつどうしてるかなー、とふとした瞬間に思いだす。そんなノスタルジックな気持ちにさせてくれる青春映画。しみじみ。
現実よりもリアル。痛々しくて、息苦しくて、目を背けたくなる。前作「その夜の侍」もそうだったけれど、赤堀雅秋監督はまたしても、私たちが蓋をして、目を逸らしてきた闇を、これでもかというほど執拗に暴き出した。愛情が深ければ深いほど、一旦歯車が狂ってしまうと、もう目も当てられない。どんな家族にも崩壊する可能性はあるのだと、この映画は、強く、強く警鐘を鳴らす。人間は恐ろしく、愚かで、滑稽だ。
毒をもって毒を制するつもりが、毒がまわって、次第に感覚が麻痺していく。悪事に手を染めることを狡猾に強要するくせに、収集がつかなくなった途端、ひらりと手のひらを返したように、知らぬ存ぜぬを貫く組織というものの闇。これはエンタテインメントでありながら、実にジャーナリスティックな問題作。新聞やテレビでは語られない事実を映画はいつも浮き彫りにする。そして、綾野剛はやっぱり本物だった。熱演。