侘び茶の「侘び」というのは、文字通り、侘しい、貧しいという意味だそうです。そして「侘しさという感情は、不足や不完全であることにたいしていだくものですが、人はたとえ栄華をきわめても、侘しさからのがれることはできない」と木村宗慎さんは書いています。そういう意味で「人間は根源的に貧しいもの」であり、真の詫び茶を体現していたのは「利休ではなく秀吉だった」という彼の見解もまた実に興味深いものでした。
侘び茶の「侘び」というのは、文字通り、侘しい、貧しいという意味だそうです。そして「侘しさという感情は、不足や不完全であることにたいしていだくものですが、人はたとえ栄華をきわめても、侘しさからのがれることはできない」と木村宗慎さんは書いています。そういう意味で「人間は根源的に貧しいもの」であり、真の詫び茶を体現していたのは「利休ではなく秀吉だった」という彼の見解もまた実に興味深いものでした。