山田孝之も、仲里依紗も、坂井真紀も、もちろん、佐藤二朗も。感情の果ての果て、もがいてもがいて、それでも生きていく壮絶さを、己の身体のすべてを使い切って表現する俳優の凄みをまざまざと見せつけられる。すべてが虚ろですべてがリアル。想像をはるかに超える悲しみ。笑え。無理でも笑え。愛を求めて彷徨うことが生きるということならば、それはあまりにも残酷で、美しい。
良い歌を歌うからといって崇拝されるべきではないし、裏切者だからといって断罪されるべきでもない。労働者のための歌を奏でながら、密告し、不倫だってする。表と裏。そんな矛盾を抱えながら生きる人間はいくらだっているし、彼らはいつでも葛藤し、感情から逃げずに戦っている。そんな不条理にやさしく寄り添った映画だった。
史上サイテーでサイコーにカッコいい主人公をあのハーモニー・コリンが生みだした。それを演じたのがマシュー・マコノヒーだなんて、なんと贅沢な映画なんだ。楽しく生きることが正しく生きることと同義とは限らない。自由に生きるには代償がある。その代償を受け入れて初めて自由が手に入るのだ。自由は孤独。自由は哀しみ。それでも手に入れるべき自由があるのだと、この映画は教えてくれる。規制と抑制にがんじがらめになった現代に中指を立てるような映画だった。