これは果たして美談なのか。なんとなくモヤモヤする。1万5千人ものトランスジェンダーが所属するといわれるアメリカの軍隊。それはつまり、社会から排除された「彼ら」が、そこでしか生きられないことの証しでもあるからだ。ただ、ありのままにそこに在ろうとするだけなのに、血を吐くような苦しみに耐え、自らを偽り続けなければならない世界が、今も確実に存在している。
「ひかり探して」パク・チワン
たった一人でいい。たった一人、理解し、寄り添ってくれる人がいるだけで、人は希望を持って生きていける。環境でも場所でもなく、最後の最後、人の支えるなるのは、やはり人なのだ。そして、傷ついたことのある人ほど、人にやさしくなれるというのも本当だ。誰かにとって寄り添える人でありたい。
「それでも私は生きていく」ミア・ハンセン=ラヴ
母親であり、娘であり、ひとりの女でもある。そして、それぞれに儘ならない状況を抱えながら日常を生きていく。きっと、それが人生だ。主人公を演じるレア・セドゥの表情は、いつも憂いを帯びていて、どこか満たされてはいないけど、決して未来を諦めてはいない。その「諦めない」ことこそが、この映画に、彼女の人生に、かすかな光を注いでいる。
「せかいのおきく」阪本順治
臭い物に蓋をしない江戸の暮らし、その生活に根差した市井の思想が、いかに稀有で、尊いものであったか。善も悪も、清も濁も、美も醜も、すべてを肯定する世界。人知れず、夜な夜な恋する人の名を書き、握り飯をつくってその人に会いに行く。私たちの奥底に眠っている日本人の美しい魂を呼び覚ます映画だった。
「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」山田洋次
寅さんは、すぐ調子に乗るけれど、誰かを傷つけることはない。むしろ、その調子の良さと、持ち前の明るさで、他人の傷を癒し、それらをすべて回収するかのように、人知れず、最後には誰よりも傷ついている。そのやさしさを知っているのは、さくらであり、とらやの面々であり、そして、観客である私たちだ。第32作。今回も寅さんはやさしかった。