ひとの幸せを喜び、ひとの悲しみに涙する。それは、寅さんだけでなく、おいちゃんも、おばちゃんも、さくらも、タコ社長だってそうだ。下町の人情がじんじんと沁みるシリーズ13作目。夏。花火。浴衣。寅さんが思わず「浴衣、きれいだね」と口にしてしまうほど、縁側に佇む吉永小百合が艶やかで、まるで美人画のように美しい。
再見。三池崇史監督が審査員長を務めた映画祭にて、映画を志す者に向けられたメッセージ「『生ぬるい映画に満たされた今を嘲笑うかのような快作』。または、『捻れに捻れた現実を、さらに捻じりあげるような快作』。なんでもいい。幸せな出会いを期待している」は、かつて撮った、自分自身のこの作品に捧げられたような言葉だ。熱量と狂気。野心に満ち満ちた、この日本映画史上、極めて暴力的(あるいは変態的)で残虐残酷な映画をみると、今もなお「得体のしれないものを観てしまった」というモヤモヤとした気持ちにさせられる。
喪失。日常に開いた大きな穴は埋めようがないし、また、立ち直ったり、乗り越えたりできるものでもない。ただ、私たちができることは、絶望しながら生きる術を手に入れることだけだ。そんなとき、わずかでも気持ちを共有できるひとがいる、というのはこんなにも強く、尊いものなんだ。そばにいる。ともに生きる。というのはそれだけで希望だ。