手塩にかけて育てた自慢の息子が、ドラッグによって、いとも簡単に崩れていく。人は人を救えない。例え、父親であろうとも。想像もしなかった試練に対峙せざるを得なかった父親がそう悟ったときに、それでもなおできることは、息子とともにもがき、苦しみ、ひたすら待つことだけだった。なんど裏切られても、信じて、待つこと。それ以外にできることはないけれどそれこそが至上の愛なのだ。
手塩にかけて育てた自慢の息子が、ドラッグによって、いとも簡単に崩れていく。人は人を救えない。例え、父親であろうとも。想像もしなかった試練に対峙せざるを得なかった父親がそう悟ったときに、それでもなおできることは、息子とともにもがき、苦しみ、ひたすら待つことだけだった。なんど裏切られても、信じて、待つこと。それ以外にできることはないけれどそれこそが至上の愛なのだ。
母に捨てられ、父を亡くした少年が、走れなくなり、殺処分されそうな競走馬と荒野を彷徨う。あまりに理不尽かつ過酷な状況の中で、お金がなくとも誰にも頼らず前に進む、その少年の強さが眩しかった。切り拓く意志。それが人生の最後の希望なのだ。
フルスイングのデビュー作。敬愛する石井裕也監督が評したそんな言葉がぴったりな映画だった。「家族」を知ろうとして脚本を書き、その答えが見つからず、ならば「作りながら更にもがけばいい」と思ったという野尻克己監督。自身の体験をベースに、まさしく自らの、人生最大の疑問に立ち向かった渾身の一撃。そんな覚悟に満ちた映画が面白くないわけがない。悲しみを背負う人たちの不器用なやさしさに何度も泣きそうになった。
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」。『新約聖書』にあるコリントの信徒への手紙を映画にしたなら、きっとこんな映画になる。嗚呼、なんて純粋でロマンチックなラブストーリー。そして、これは1960年代後半から70年代の過酷な状況や環境の中で、腐らず、屈せずに生き抜いた、黒人の多くの恋人たちに捧げられた尊崇でもあった。