ようやくの「この世界の片隅に」。玉音放送を聞いたばかりの、普段はおっとりとした主人公が「最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!」と、怒りとも、悲しみともつかない、やりきれない感情をむきだしにするシーンが忘れられない。社会や政治にそれほどの興味や関心もなく、フツウの暮らしをフツウに生きていた、恐らく多くの日本人が、自分の命が尽きるまで戦うことを覚悟していた。そんな苛酷な時代にも「ユーモア」や「笑い」がきちんと存在していたんだと思うと、なんだかとても嬉しくて、なんだかとても泣けてくる。
15世紀から18世紀にかけて広く使用され、ピアノの隆盛とともに衰退した楽器チェンバロ。西洋や中東において文字を美しく見せるために発達したカリグラフィー。世界にひっそり存在するものに魅せられた3人の男女が織りなす、耽美で、美しく、静謐な。そして、切なく、残酷でもある、大人のための恋愛小説。
ダルデンヌ兄弟は映画の神様に選ばれた二人だ。彼らが描く映画には、人間の感情が溢れ、観る者は、その感情に揺さぶられ、やがて、胸を締めつけられる。良心の呵責からくる誠実さや、人を思いやることで生まれるやさしさ。この映画の主人公のように、私たちを突き動かすものが、憎しみや怒りではなく、そのようなものであって欲しい。
世の中の、どんな価値観や倫理観に照らし合わせてみても、どうにもならないことがある。たとえ他人に、どれだけ後ろ指を指されたとしても、自分がすべてを受け入れたならば、それはかけがえのない選択となる。ヘンテコでぶっ飛んでいるけれど、なぜかほっこり。グレタ・ガーウィグのなせるわざか、実にチャーミングな映画だった。
カンヌの授賞式で語られた「映画の伝統の一つは世の中に異議を唱え、強大な権力に立ち向かう人々に代わって声を上げることだと信じている」というケン・ローチのスピーチはほんとうに感動的なものだった。なぜならそれは、50年にもわたり、彼が貫いてきた信念そのものであったからだ。胸を引き裂かれると同時にふつふつと怒りがこみ上げてくる。映画という手段を用い、権力に正当に抗い続けてきた老監督の、不撓不屈の精神。その偉大さを何度も噛みしめる。